木原線開業90周年でした。
2020-04-01
2020年4月1日本日は、1930年(昭和5)年4月1日に国鉄木原線が大原~大多喜間に開通してから
ちょうど90周年でありました。
木原線はその後、1933年8月25日に総元、そして1934年8月26日に上総中野へ通じ
小湊鐵道と連絡・房総横断鉄道が形成されました。
昭和63年3月24日からは現在のいすみ鉄道として第三セクターになり
現在に至ります。

1988年1月?日
同級生と木原線乗り鉄。
この時の運転士さんはつい数年前までいすみ鉄道在籍
当時折返し時間で気さくに話してくれて非常に楽しい時間でした。
話し込んで車掌さんが後ろから歩いてきて「発車です」
「じゃ、いっべやぁ」と運転室に入っていきました。
何とも、古き良き田舎の支線と言う感じで
これが現在、私のローカル線活動のまさに原点であります。
その方が運転する列車にまさかアテンダント乗務するとは
いま、考えるととても驚きます。

その前に大多喜駅ですれ違った、いすみ100型試運転列車。
まだタブレット閉塞だったため、通票キャリアを積んで新型(当時)車両が発車していくさまが
違和感あったのをよく覚えております。
さて、これからいすみ鉄道はどんな歴史が待っているのでしょうか。
私もこの90周年は見落としていて、なべちゃん運転士さんが教えてくれました。
ありがとうございました。
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木原線タブレットの印
2019-11-16
いすみ鉄道の前身、旧国鉄(1年弱のみJR)木原線列車の安全装置は「タブレット閉塞式」という鉄道伝統の方式がいすみ鉄道になるまで
使用されていました。
システムの詳細は省きますが
その使用された印は
大原~国吉 △
国吉~大多喜 □
大多喜~上総中野 〇
でありました。
管理人が中学2年生、春にはいすみ鉄道になるという1988年1月の国吉駅タブレット交換シーンで

写真左側、電柱になにやら白い四角の板が取り付けられているのが分かります。
これはつい最近まで残っていたのですが・・・・・・

おそらく、タブレット形状確認用の「□」が書かれた板だったのではないかと思います。
残念ですが現在は板が風化紛失、留めていた釘のみが刺さっています。

腕木式信号機もお別れ、
背の低い出発信号機はいすみ鉄道の特徴になりましたが、
そう設置された理由がはっきりと分かっていないのです・・・・・

乗っていた列車が上総中野に到着
運転士さんはそれこそつい最近まで、いすみ鉄道で乗務されていた方でした。
折り返し時間、話に花が咲き発車時間になったら後ろから車掌が「発車ですよ」と。
「じゃぁ、いっべやぁ~~~」と運転士さんは運転室に入っていきました。
なんとも、おおらかな時間が大好きで木原線もよく乗りに行きました。
小生もこういう体験からローカル線ファンになったのかも知れないですね。
この口癖、約30年後
私がアテンダントで乗務列車の時に聞く事も出来まして
なんとも不思議な体験でありました。
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