私と小湊鐵道

 2017-06-01
いきなりですが、表題のような記事を綴らせていただきます。

まずはイントロとして、私の「人生最古の記録」をお話しようと思います。
IMG_0579.jpg


写真は小湊鐵道五井機関区の俯瞰写真ですね。
この情景が、私の記憶の一番古いシーンです。

いったい何を言っているのか

私のお袋は津軽(青森県平川市・旧平賀町)の出身で
そのお袋の従姉が青森から市原市に移り住み
お袋は私を連れ、よく遊びに市原市まで行きました。

やがて従姉は市原市の方と結婚

その、結婚式場からの眺めです。
現在はその式場の建物はございませんが
まだ私が3歳になるかどうかという位だったそうです。

確かに記憶が残っているんです。

国鉄(現JR)と小湊鐵道の踏切が2つ並んでいる光景と
小湊鐵道の車両がたくさん並んでいる車庫のシーン

2つの踏切が同時に閉まり、間に挟まれた車が居て何だかヒヤヒヤしたとか
165系が走り去ったり、小湊鐵道の車両の中に窓が違う車両が混ざっていたり
後で考えるとキハ5800だったと合点が行きますが。

その後も、定期的にその従姉の元へお袋にくっ付いて行きました。
その際は車利用ですが、国道297号からたまに見れる小湊鐵道にいつしか乗ってみたいと
強く想っていました。

今では車で自分でも簡単に小湊鐵道沿線に出かけることは容易ですが
小学生の頃は、木原線で上総中野まで行かないと見る事はできません。

そして、願いが叶ったのは小学校4年生

はじめての一人旅は「房総横断鉄道」をやってみたんです。

大原から木原線に乗ったは良いですが、調べずに行って上総中野で1時間以上の待ち時間。

キハ200に初めて乗りこみ、仕切りが半室構造になっているのに大変驚いたのを良く覚えています。


木原線はその後も案外、手軽に乗る事は可能でしたが
小湊鐵道に乗るというのは、なかなか出来ない事でありまして
私のなかで「あこがれ」になって行きました。

その後、高校3年生くらいから鉄道に興味が無くなり
学生で東京在住時、毎日がそれこそ若気の至りで飲み会や楽しいことばかりの生活
そんな中でも、たまにTVで映るキハ200に何だか癒されて昔を思い出したりしていました。

それでなんとなく、家業を継いで
結局はとくに遣りたいと思っていなかった職業でしたから
うまく行かず35歳の時にいきなり倒れ入院してしまい
その後、診断の結果精神病の診断が・・・・・・・・

そんな折、小湊鐵道が運転体験をやっている、と知り
なにげにHPを見ると、なんと空きがあと2名とあり急いで申し込み
初めて運転させて頂いた時の感動は、今まで生きていた中で一番だったと思います。

それ以来、何回も参加させて頂いているうち職員の皆様とも懇意にさせて頂き
またその社風というか、まさに古き良き鉄道と里山の魅力にどっぷりと嵌ってしまいました。


たまに聞かれるんです
「いすみ鉄道と小湊鐵道どっちが好きなの?」

私は何処でも、どんな方の前でも正直に答えます
「小湊鐵道です」

中には裏切者と罵る人もいますが
上記、読んでいただければご納得いただけますでしょうか。
だからと言っていすみ鉄道が嫌いなんじゃない。
なんというか、小さい頃からの刷り込みみたいな感じでして、こればっかりは仕方が無いのです。

また小湊鐵道の活動の中では、請謁ではありますが何回かメディアに取り上げて頂いています。
やはり神様はどちらに向いていけば良いか示されているのかも知れません。

※以下、誤解が生じるので削除しました。


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